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松江地方裁判所 昭和57年(ワ)102号 判決 1989年2月22日

甲事件原告(乙事件被告) 薬王寺

右代表者代表役員 塩満齢道

丙事件原告(丁事件被告) 成満寺

右代表者代表役員 角石永道

甲、丙両事件原告訴訟代理人弁護士 宮川種一郎

右同 松本保三

右同 松井一彦

右同 中根宏

右同 中川徹也

右同 猪熊重二

右同 桐ケ谷章

右同 八尋頼雄

右同 福島啓充

右同 若旅一夫

右同 松村光晃

右同 漆原良夫

右同 小林芳夫

右同 今井浩三

右同 大西佑二

右同 堀正視

右同 川田政美

右同 春木實

右同 吉田孝夫

右同 稲毛一郎

甲事件被告(乙事件原告) 加藤法研

丙事件被告(丁事件原告) 上地協道

甲、丙両事件被告訴訟代理人弁護士 中安正

右同 片井輝夫

右同 弥吉弥

右同 小見山繁

右同 山本武一

右同 小坂嘉幸

右同 江藤鉄兵

右同 富田政義

右同 川村幸信

右同 山野一郎

右同 沢田三知夫

右同 河合怜

右同 伊達健太郎

甲、丙両事件被告訴訟復代理人弁護士 高野孝治

主文

一  甲事件被告は、甲事件原告に対し、別紙物件目録一記載の建物を明渡せ。

二  甲事件被告の請求を棄却する。

三  丙事件被告は、丙事件原告に対し、別紙物件目録二記載の建物を明渡せ。

四  丙事件被告の請求を棄却する。

五  訴訟費用は、甲、乙、丙、丁各事件を通じて甲事件被告、丙事件被告両名の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(甲事件)

一  請求の趣旨

1 主文一項と同旨

2 訴訟費用は甲事件被告の負担とする。

3 仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1 甲事件原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は甲事件原告の負担とする。

(乙事件)

一  請求の趣旨

1 甲事件被告と甲事件原告との間において、甲事件被告が甲事件原告の代表役員及び責任役員の地位にあることを確認する。

2 訴訟費用は甲事件原告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1 主文二項と同旨

2 訴訟費用は甲事件被告の負担とする。

(丙事件)

一  請求の趣旨

1 主文三項と同旨

2 訴訟費用は丙事件被告の負担とする。

3 仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1 丙事件原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は丙事件原告の負担とする。

(丁事件)

一  請求の趣旨

1 丙事件被告と丙事件原告との間において、丙事件被告が丙事件原告の代表役員及び責任役員の地位にあることを確認する。

2 訴訟費用は丙事件原告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1 主文四項と同旨

2 訴訟費用は丙事件被告の負担とする。

第二当事者の主張

(甲、丙両事件)

一  請求原因

1  甲事件原告は別紙物件目録一記載の建物(以下「本件建物一」という。)を、丙事件原告は同目録二記載の建物(以下「本件建物二」という。)をそれぞれ所有している。

2  甲事件被告は本件建物一を、丙事件被告は本件建物二をそれぞれ占有している。

3  よって甲、丙両事件原告(以下「原告ら」ともいう。)は甲、丙両事件被告(以下「被告ら」ともいう。)に対し、本件建物一、二の明渡しをそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2の各事実は認める。

三  抗弁

1  原告らの各寺院規則によれば、原告らの代表役員は原告ら寺院の住職の職にある者をもって充てられることになっており(日蓮正宗宗制四三条、原告ら各寺院規則八条一項)、代表役員の任期は住職在職中とされており(原告ら各寺院規則九条一項)、原告ら寺院の住職はその在任期間中に限り、その地位に伴う慣行上の権限に基づいて当該各寺院である本件建物一、二にそれぞれ居住することができるものであるところ、被告らは日蓮正宗の管長から原告ら寺院の住職に選任せられているものである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実は認める。

五  再抗弁

1  日蓮正宗の法主・管長は原告ら寺院の住職である被告らに対して懲戒権を有する。

2  日蓮正宗の法主・管長であった日達上人(以下「日達」という。)は昭和五四年七月二二日逝去し、その後阿部日顕上人(以下「日顕」という。)が日蓮正宗の法主・管長に就任した。

3  日顕は被告らについて次項(一)(三)の擯斥処分(僧籍を削除し日蓮正宗から追放する懲戒処分)事由ありとして昭和五七年八月二一日付で被告らを擯斥処分に付し、その頃右旨を被告らに通知した。

4(一)  被告らは昭和五六年一月一一日付の通告文と題する書面をもって日蓮正宗の法主・管長である日顕に対し、日顕が全く血脈相承がなかったにもかかわらずあったかの如く詐称して法主・管長に就任したのであるから、日顕を法主・管長と認めることはできない旨通告し、右通告内容を「継命」(日蓮正宗全国檀徒新聞)(昭和五六年一月二二日号)に公表し、また同月二一日付で静岡地方裁判所に日顕を相手取って訴訟を提起し、①、日達の生前において血脈相承がなされた事実は存しない、②、日顕の法主の地位は宗制宗規に基づかないいわば僭称にすぎず、正当な権限なくして就任したものであり日顕法主は本来存在しないことである等主張した。

(二) 右(一)の所為は管長に対し誹毀・讒謗をなしたことになると同時に異説を唱えたことになるのである。被告らが日達から日顕への血脈相承を否定することは、そのこと自体が異説を唱えることに帰するのであって、すなわち法主たる地位への就任は血脈相承のみに限られ、右以外の場合は一切なく、宗規も血脈相承のみを規定しているものであり(宗規一四条三項に「法主による選任が不能のときは、総監、重役、能化の協議による。」旨の規定も、血脈相承なくして右協議のみで選任しうるという規定ではなくて、元法主が健在の場合に現法主が急逝するなどで現法主による選任が不能の場合を想定したものであり、右場合に右協議によって選び出された者に対し元法主から血脈相承がなされるという段取になるのであって、元法主の生存がない場合に現法主による選任が不能という場合を想定したものではない。)、血脈相承以外の方法による法主たる地位への就任は一切定めていないというのが日蓮正宗の教義・信仰であるところ、日達から日顕への血脈相承を被告らが否定するということは、日蓮正宗の法主の断絶があってもしかたがないとする(日達から日顕への血脈相承を否定するならば本件においては元法主が存在しない場合であるから断絶が生ずる場合となる。)のか、他の方法による血脈相承が可能であるとするのかの二つに一つであり、日蓮正宗の法主の断絶は日蓮正宗の断絶を意味し、被告らが日蓮正宗の断絶をやむなしとするはずがないから、被告らの右否定の主張は、他の方法による血脈相承が可能であるとの説をなすものであり、そのような説はたやすく異説と断定しうるものである。現に被告らと共に日顕上人の血脈相承を否定する言動をとっている中心的人物である訴外久保川法章は、他の方法による血脈相承が可能である旨を主張して、一器の水を一器に移すが如く、歴代の法主が全く同じ法水を伝えて来たとする血脈相承観は全く史実に反するものであり信徒の教導の方便等を志向したものにすぎぬとしたうえ、日興上人は、法水を流す血脈の管は法主と大衆の二本を用意し、法主の管が故障して通らなくなったとき、破れて汚水が流れこむときには、法水は自動的に大衆の管を使って流れるように工夫を施された旨を述べて重大な異説を展開しているのである。右は日蓮正宗の血脈相承に関する教義・信仰に反するまことに許しがたい重大きわまりなき異説である。

(三) 日蓮正宗は被告らに対し、院第三〇〇号(昭和五六年二月四日付)、院第四三八号(同年九月一五日付)及び院第四九九号(同五七年一月一九日付)の各院達、「勧告文」(昭和五七年六月二一日付)並びに「訓戒」(同年八月五日付)をもって右異説を改めるべく訓戒したが被告らは遂にこれを改めなかった。

(四) 被告らの右行為は宗規二四九条(左に掲げる各号の一に該当する者は擯斥に処する。)三号(言論、文書、図画等をもって管長に対し、誹毀又は讒誘をした者)、四号(本宗の法規に違反し、異説を唱え、訓戒を受けても改めない者。)に該当する。

5  右擯斥処分により被告らは住職・代表役員の地位を失ったから、本件建物の占有権限をも失ったものである。

六  再抗弁に対する認否

1  再抗弁1の事実は認める。

2  再抗弁2の事実は認める。しかし日顕の法主・管長就任は手続違背の点及び選定行為不存在の点の二点の理由により無効である。すなわち法主たる地位に就任するためには宗規により

イ 法主による選定(一四条二項)

ロ イが不能のときは、総監、重役、能化(権僧正以上の僧階にあり、日号を称することのできる高僧)の協議による(一四条三項)

ハ 被選任資格者は緊急やむをえない場合のほか能化の地位にある者に限られる(一四条二項)

が定められているところ、昭和五四年七月二二日に日達が逝去した際、当時大僧都(僧階の順位は上から下へ次の順である。大僧正、権大僧正、僧正、権僧正、大僧都、権大僧都、僧都、権僧都、大講師、講師、少講師、訓導、権訓導)であった日顕(当時は阿部信雄)が昭和五三年四月一五日に日達から日顕に対し血脈の儀についてお話があった旨を述べたため、日顕について法主・管長・代表役員就任の手続がとられるに至ったものであるが、昭和五三年四月一五日に日達が日顕を法主に選定する旨述べたことはないのであり、仮にそのように述べたとしても、右イの法主による選定とは、法主の交替を意味する選任行為の意と解すべきであるところ、同日頃法主の交替が行なわれてはいないわけであるから、右イの選定にもあたらないものであり、やむを得ない事由もない本件において大僧都から選んだ点で右ハの規定にも反しており、日顕は宗規による法主選任手続を経ていないものである。なお、被告らは日達が日顕を法主として選定する旨述べたことを否定しているのであり、右選定行為の有無について審理判断することを裁判所に求めているのであって、決して宗教上の「血脈相承」の有無についての審理判断を裁判所に求めているのではない。血脈相承という用語が用いられる場合を分析すると、①、「信仰上存在する事実としての血脈相承」(信仰上の血脈相承)(宗祖が三大秘法を二〇〇〇年前、大覚世尊から口伝相承し、歴代の法主が真に右三大秘法を口伝相承しているという意味での血脈相承を受けているかどうかということ。右の意味での血脈相承を受けているかどうかを、信仰者以外の者において客観的に確定することは不可能であり無意味である。)、②、「儀式としての血脈相承」(法主からその後継者に対し、宗祖の正しい法系を継承する行為(信仰上の血脈相承)を表象する事実行為として行われるもの。「ご相承」又は「相承の儀」と呼ばれ、事前に日時、場所、相承を受ける者が宗内に公示され、多くの僧侶が儀式設営のために動員され、かつ儀式終了後は必ず右儀式が滞りなく終了したことが宗内に公示されて行われた。なお、右儀式が行われたことは儀式の中で、又はその前後に法主選定行為が行なわれたことを推認せしめる有力な間接事実であるが、右儀式自体が選定行為そのものというわけではない。)、③、法主が後継者に対して法主に選定する旨を述べることの三があるが、②と③の意味でのものが行なわれたか否かの審理判断には信仰上の判断が入りこむ余地はないのである。

又原告は、昭和五三年四月一五日に日達から日顕への宗規一四条二項による選定があったとの事実は、客観的な事実ではなく、「信仰上存在する事実」である旨主張しているようであるが、右主張は、日達による選定があったと日顕が信じている故に日顕は法主であるということになり、日顕の僭称以外の何ものでもない。

3  再抗弁3の事実は認める。しかし懲戒処分権者は管長であり、管長の地位は法主の地位を前提としているが、管長と称して本件懲戒処分をした日顕は法主ではなく、したがって管長でもなく、本件懲戒処分は処分権限のない者のなした懲戒処分であるから無効である。

4  再抗弁4の(一)、(三)の事実は認めるが、同4の(二)、(四)の主張は争う。

七  再々抗弁

1  本件懲戒処分は懲戒権の濫用であり無効である。

八  再々抗弁に対する認否

1  再々抗弁事実を否認する。

(乙、丁両事件)

一  請求原因

1  甲、丙両事件被告は、いずれも日蓮正宗の管長から甲、丙両事件原告各寺院の住職に選任せられているものである。

2  原告らの各寺院規則によれば、原告らの代表役員(四人の責任役員のうちの一人、原告ら各寺院規則六条)は原告ら寺院の住職の職にある者をもって充てられることになっており(日蓮正宗宗制四三条、原告ら各寺院規則八条一項)、代表役員の任期は住職在職中とされている(原告ら各寺院規則九条一項)。

3  原告らは被告らがそれぞれ原告らの代表役員及び責任役員の地位にあることを争う。

4  よって、被告らは原告らに対し、被告らがそれぞれ原告らの代表役員及び責任役員たる地位を有することの確認を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1ないし3の各事実は認める。

三  抗弁

1  甲、丙両事件の再抗弁のとおり。

四  抗弁に対する認否

1  甲、丙両事件の再抗弁に対する認否のとおり。

五  再抗弁

1  甲、丙両事件の再々抗弁のとおり。

六  再抗弁に対する認否

1  甲、丙両事件の再々抗弁に対する認否のとおり。

第三証拠《省略》

理由

(甲、丙両事件)

一  請求原因1、2の各事実、抗弁1の事実、再抗弁1の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二  再抗弁2の事実は当事者間に争いがない。

日顕の法主・管長就任を被告らが手続違反、選定行為不存在の二点を理由に無効であると争うので検討する。

1  先ず選定行為不存在により法主就任が無効である旨の被告らの主張について検討する。

法主というような本来宗教団体内部における宗教活動上の地位にある者が当該宗教法人の規則上当然に代表役員兼管長となるとされている場合(本件はこの場合である。)において、裁判所はある人が当該宗教法人の管長であるかどうかを審理、判断する前提として、その者が当該宗教法人の規則に定める宗教活動上の地位(本件では法主)を有する者であるかどうかを審理、判断することができるし、またそうする職責を担っているというべきであり、この場合、宗教法人は宗教活動を目的とする団体であり、宗教活動は憲法上国の干渉からの自由を保障されているのであるから、かかる団体の内部関係に関する事項については原則として当該団体の自治権を尊重すべく、本来その自治によって決定すべき事項、殊に宗教上の教義にわたる事項のごときものについては、国の機関である裁判所がこれに立ち入って実体的な審理、判断を施すべきものではないが、右のような宗教活動上の自由ないし自治に対する介入にわたらない限り、前記問題につき審理・判断することはなんら差支えがないばかりでなく、できる限り審理・判断をすべきものであると解するのを相当とする。

《証拠省略》によると、日蓮正宗における法主の地位は宗制、宗規において血脈相承により承継されることとなっているところ、血脈相承を授受する行為は代々の法主に承継される同宗の宗旨ないし教義の承継と密接不可分の関係に立つ宗教上の行為であり、かつ、日蓮正宗が自宗の正統性を示し、かつ、自宗を地宗派と区別する規準の一であるという意味において同宗の教義の解釈と深くかかわりをもつ観念であり、かような血脈相承を授与する行為が如何なる方式、態様(時期、場所)又は内容において行われるべきかに関しては、これを一義的かつ具体的に明示するものがなく、血脈相承の内容につき、現に日蓮正宗内に解釈の対立が生じていることが認められる。

右認定事実によれば、法主の地位の承継の根源である血脈相承の存否については、その宗教上の教義の解釈にわたらなければ決し得ないことが明らかであって宗教団体である日蓮正宗が本来的にその自治によって決すべき事項であるといわなければならないから、裁判所はこれに立ち入って実体的な審理、判断をすることが許されないと解すべきであるとも考えられないではないが、宗教活動上の自由ないし自治に対する介入にわたらない限りなるべく実体的な審理・判断をするべきであるとの立場から、審理、判断の余地の有無をみるに、被告らは昭和五三年四月一五日に日達が日顕を法主として選定する旨日顕に述べたことはないとして、右を述べたか否か(選定行為の有無)について審理判断することを裁判所に求めているのであって決して血脈相承の有無についての審理判断を裁判所に求めているのではない旨主張するので考えるに、成立に争いのない甲第六号証、弁論の全趣旨によれば本件では日達逝去の日である昭和五四年七月二二日の午前一一時一〇分から総本山において開催された緊急重役会議の席上、日顕から今までだまっていたが昭和五三年四月一五日に総本山大奥において日達から日顕に対し血脈相承の儀についてお話があった旨述べて右会議出席者一同これを謹んで拝承したというものであるから、本件における血脈相承は昭和五三年四月一五日に事前ないし事後における第三者への発表なしに日達から日顕へ秘密裏に(第三者に知られることなしに)口伝でなされるという形態のものであって、血脈相承をなす旨の日達から日顕への連絡があった日時、場所はいつでどこか、右連絡はどのような方法でなされたか、右口伝が開始され終了した時刻は各いつか、口伝がなされた場所は総本山大奥のどこでその場所にあった備品は何であり、それを移動させたか否か、右口伝の中に日顕を次期法主に選定する旨の言葉があったか否か、あったとすれば具体的にはどのようにいわれたか、法主就任時期の話の有無、あったとすればどのようにいわれたか、右口伝の内容、血脈相承以外の話の有無、あったとすればその内容、日顕は右を書面に記載したかどうかなどについては判明していないのであるところ、日顕を法主に選定したかしなかったかを裁判所が見極めるには日達、日顕の性格、物の考え方、行動傾向等の詳細の他に右の諸事情のほとんどについて詳細に証拠調をなす要があるのであって、右のような証拠調をすることは血脈相承についての判断能力が当裁判所に不十分な点は能化の一人などを鑑定人に命じて鑑定をなすことによって補うことができるかもしれないけれども、宗教活動上の自由ないし自治に干渉することになるおそれが極めて強いものであり、裁判所に許されないところであると判断され、右手法による選定行為の有無の判断は血脈相承の有無の判断に通じることになり許されず、結局被告らの前記主張は理由がない。

そこで、更に右選定行為の存否についての審理、判断の余地の有無をみるに、教義、信仰上の対立をどのような形で収拾するかはもっぱら各宗教団体の自治にまかされた事項であるから、宗教団体の自治的な解決結果がすでに出されている場合には、それが公序良俗に反しない限りその結果を前提として本案判決をすることが、紛争を放置しておのずからなる正邪の歴史的な判定が結果するのを待つのではなく裁判権による介入を最小限に抑えつつ法律上の争訟解決のためにできる限り審理判断をするべきであるという立場に合致し、宗教団体の自治を保障した諸法規の精神に沿うものと考えられるから(自治的解決結果次第で、結果として裁判所はあるいは一方の立場に立ち、あるいは他方の立場に立つ形になるが、いずれに組するものでもない。)、宗教上の事項について教義、信仰上の事項を生のまま持ち出す主張はこれを取り上げて審判することはしないが、右事項に関する当該宗教団体の自治的な決定の存否の主張はこれを取り上げ、その自治的決定の存否を審判して本案判決を下すという方法によるのが相当であると解する。

右方法を用いての血脈相承の有無の処理方法は、日顕が血脈相承を受けているとの日蓮正宗における自治的な決定がすでに存在することを原告らが主張、立証しうるとともに、その主張、立証責任を負い、被告らは血脈相承の無効事由たる瑕疵として主張するところが当該宗教団体内において自治的に決定されたところである旨を主張、立証することができるとともに、その主張、立証責任を負うということになる。

日顕が血脈相承を受けているとの日蓮正宗における自治的な決定がすでに存在することは、《証拠省略》によって認めることができ、日顕が血脈相承を受けていないとの日蓮正宗における自治的な決定がすでに存在する旨の被告らの主張はみあたらないようであるが、善解して右主張があるとしてみても、右主張は本件全証拠によるも認めることができないから、右主張は結局理由がない。

2  手続違反により法主就任が無効である旨の被告らの主張について検討する。

宗教団体の固有の法又はその他の内部的な諸規定を解釈することは宗教団体の体制・組織の領域に属するものであり、宗教団体の内部法規は、用語、立法技術及び一部の対象事項(ここでは管長・代表役員)に照らすと、一見、国家の法規と同じ性質をもつように思われる場合も、宗教団体の内部法規は、国家の法規とは異なる制定価値と目的を持つものであり、宗教団体における法規の制定価値は副次的なものであって、国家にとっては人間の共同生活の規制が主目的であるが、宗教団体にとっては本来の宗教そのものを擁護していくことこそ宗教団体内部における第一次的な目的であるから、法規もその他の組織上の制度もすべて、この目的に資するためのものであると解するのを相当とする。

そこで日蓮正宗における法主の就任手続について検討するに、宗規一四条二項には「法主は、必要を認めたときは、能化のうちから次期の法主を選定することができる。但し、緊急やむを得ない場合は、大僧都のうちから選定することもできる。」と定められているところ、《証拠省略》によれば、日蓮正宗は宗祖日蓮立教開宗の本義たる弘安二年の戒壇の本尊を信仰の主体とし(宗制三条)、右本尊とは「宗祖所顕の本門戒壇の大曼荼羅(宗規三条)であって、宗規一四条一項に「法主は……本尊を書写し、日号、上人号、院号、阿闍梨号を授与する。」と定められ、法主のみが本尊を書写する権限を有し、これを僧侶や檀信徒に下付し、日常の信仰における本尊として礼拝されていること、日蓮正宗においては宗祖の遺文や歴代法主の教示等から古来法主は宗旨を承継し、教義の解釈、裁定を行うなど宗派を統率する宗教上の最高権威者とされ、このような法主の地位に就任するには、現に法主の地位にある僧侶から次期法主となるべき僧侶に対し血脈相承という宗教上の行為がなされ、法主の退職又は死亡により血脈相承を受けた僧侶が新たに法主に就任するものとされてきたこと、宗規においても「……二祖日興上人が……宗祖の血脈を相承して、三祖日目上人、日道上人、日行上人と順次に伝えて現法主に至る。」(二条)、「法主は、宗祖以来の唯授一人の血脈を相承し」(一四条一項)と定められ、日蓮正宗が明治三三年九月本門宗から独立して日蓮宗富士派となって制定した宗制寺法以来同旨の規定が置かれていること、日蓮正宗は明治以降当時の政府が宗教政策の一環として宗教団体に対し宗教規則の制定及び管長制を義務付け規則はもとより管長の就任についても認可制を採用したことにともない、明治三三年九月前記宗制寺法を制定し管長を置き、「管長は宗制寺法に依りて一宗を統監す」(八条)るものとし、また、管長が古来宗派の長たる者の名称を称することについても認可制となっていたところから、主務官庁の認可を受けたうえ、「管長は宗祖己来の法系を伝承し法主と称す」(一四条)と定め、更に管長就任手続として管長が管長候補者として大学頭を選任し、管長欠員の場合に大学頭が監督官庁の認可を得て管長の職に就くものとされ(九条、二五条)、管長の死亡等により大学頭が選任されていない場合には管長候補者を選挙するものとされ(二六条)、昭和一六年改正の宗制においても右と同旨の規定が置かれていたがこれら管長職及びその候補者の選挙規定は、当時の宗教政策によるものであって、日蓮正宗の伝統とは異質のものであり、そのようなところから日蓮正宗においては当時も管長の就任と法主の地位の承継とを画然と区別し、たとえ管長の就任につき主務官庁の認可がなされても、当然には法主の地位が承継されるものではなく、法主の地位は、血脈相承により承継されるものとされていたこと、戦後、宗教関係法令の改廃、制定がなされ、前記管長認可制が廃止された後も、日蓮正宗においては宗規上管長職及びその候補者の選挙に関する規定が残されていたが、右選挙は実施されることなく、法主が管長に就任してきたこと、その後昭和四九年八月八日宗規が改正され従前の管長候補者の選挙制度は廃止されたが、管長の職制はそのまま残り、宗規一三条に「本宗に管長一人を置き、本宗の法規の定めるところによって一宗を総理する。2管長は法主の職にある者をもって充てる。」と定められるとともに、法主が次期法主を選定する旨の前記宗規一四条二項の規定が設けられたこと、を認めることができるところ、右認定の事実によれば、日蓮正宗の宗制宗規の正しい解釈は、血脈相承の重要性如何にかかり、血脈相承の重要性を除外するならば宗制宗規を解釈することはできないものというべきことが明らかであり、右認定の事実によれば、宗規一四条二項にいう選定とは、法主が次期法主となるべき者に血脈相承を授けることを意味し、右血脈相承を受けた者が法主の退職又は死亡により当然に法主に就任することとなると解すべきである。

被告らは法主による選定とは、法主の交替を意味する選任行為の意と解すべきである旨いうが、法主が次期法主を選定し、選定による効果が前法主の逝去のとき生ずるとする選定方法も宗規一四条二項に定める「法主による選定」の一形態であると解するのを相当とするから、被告らの右主張は理由がない。

被告らは本件においてはやむを得ない事由もないのに大僧都から選んだ点で宗規一四条二項(前記ハ)の規定に反する旨主張するが、血脈相承の重要性を最大限に尊重する立場から右一四条二項を解釈するならば、右ハはいわゆる訓示規定であって効力規定ではないと解するのが相当であり、又日達が大僧都であった日顕を選んだ点自体からやむを得ない事由の存在が特別の事情のない限り推認されるのであり、本件において右特別の事情の存在を認めるに足りる証拠はないから、いずれにしても被告らの右主張は理由がない。

なお宗規一四条三項には「法主がやむを得ない事由により次期法主を選定することができないときは、総監、重役及び能化が協議して、第二項に準じて次期法主を選定する。」と定められているところ、前認定の日蓮正宗における法主の就任手続に関する規則の沿革及びその運用の実態並びに《証拠省略》により認められる宗規一四条五項の「退職した法主は、前法主と称し、血脈の不断に備える。」との規定に照らせば、同条三項は、法主がやむを得ない事由により次期法主となるべき者に血脈相承を授けることができない場合の規定であって、その場合総監、重役及び能化が協議したうえ、二項に準じて前法主が次期法主となるべき者に血脈相承を授ける旨を定めたものであり、決して前法主が存在しない場合に法主が死亡して次期法主を選定することができないときに総監、重役及び能化の協議によってかつそれだけで法主を選任することができるという手続を定めたものではないと解するのが相当である。

3  そうすると、日顕が日蓮正宗の法主ではないとして本件処分の無効をいう被告らの主張はいずれもこれを肯認する余地がなく、結局右主張はその前提を欠き採用することができない。

三  再抗弁3の事実は当事者間に争いがない。被告らは日顕は法主でなく、したがって管長でないから、管長でないもののした懲戒処分は無効である旨主張するが、すでに認定判断したところによれば日顕は法主であるから、右無効の主張は前提を欠き理由がない。

四  1 再抗弁4の(一)、(三)の各事実は当事者間に争いがない。

2 再抗弁4の(二)について判断する。

被告らが管長である日顕に対して法主の地位を僭称するものである旨通告し、右通告内容を継命(昭和五六年一月二二日号)に公表したことは管長に対する誹毀・讒謗にあたるというべきであるから、原告らのなした擯斥処分が無効であるということはできない。

《証拠省略》によれば、被告らは元法主の存在しない本件において日達から日顕への血脈相承を否定し、しかも日蓮正宗の法主の断絶すなわち日蓮正宗の断絶はないとして、被告らと共に日顕上人の血脈相承を否定する言動をとっている中心的人物である訴外久保川法章の正宗にのみ大聖人の仏法が血脈相承されてきたということについては異議を唱えるものではないが唯授一人、金口嫡々なるものが、前法主より現法主へ、直接に口移しで断絶することなく今日に至っている、一器の水を一器に移すが如く、歴代の法主が全く同じ法水を伝えてきたとする血脈相承は全く史実に反するものであり信徒の教導の方便等を志向したものにすぎぬとしたうえ、日興上人は法水を流す血脈の管は法主と大衆の二本を用意し、法主の管が故障して通らなくなったとき、破れて汚水が流れこむときには、法水は自動的に大衆の管を使って流れる工夫を施された旨の所説を述べ、宗規一四条三項は元法主が不存在の場合に現法主が口伝による血脈相承のことなくして逝去した場合などに総監、重役及び能化が協議して次期法主を選定し選定された者がそのまま次期法主に就任しうることを規定したものであると述べていることを認めることができ、他に右認定を左右するに足りる証拠はないところ、宗規一四条三項に関する右解釈が誤りであることはすでに判断したところであるが、右血脈相承についての所説の陳述発表が異説を述べたことになるか否かは、血脈相承の意義・内容の解釈にかかるから、宗教上の事項について教義、信仰上の事項を生のまま持ち出す主張はこれを取り上げて審判することはしないが、右事項に関する当該宗教団体の自治的な決定の存否の主張はこれを取り上げ、その自治的決定の存否を審判して本案判決を下すという前記手法をここでも採用することとし、原告らは被告らの行為が異説を唱えたことにあたるとの日蓮正宗における自治的な決定がすでに存在することを主張、立証しうるとともに、その主張、立証責任を負い、被告らは被告らの行為が異説を唱えたことにあたらないとの日蓮正宗における自治的な決定がすでに存在することをもって本件懲戒処分の無効事由として主張、立証しうるとともに、その主張、立証責任を負い、その当否を審判されて本案判決がなされるということにするのが相当である。

そこで右主張をみるに、被告らの行為が異説を唱えたことにあたるとの日蓮正宗における自治的な決定がすでに存在することは、《証拠省略》によって認めることができ、被告らは被告らの行為が異説を唱えたことにあたらないとの日蓮正宗における自治的な決定がすでに存在するとの主張をしているようでもないが、善解して右主張をしているとみても、本件全証拠によっても右主張に沿う事実を認めることができないから、結局右主張は理由がない

よって再抗弁は理由がある。

五  再々抗弁の本件処分が懲戒権の濫用であるとの点について検討する。

前後の経緯をみるに、《証拠省略》に当事者間に争いがない事実を併せると、次の1ないし12の事実を認めることができる。

1  日達が昭和五四年七月二二日逝去し、これに伴い日顕は第六七世法主に就任し同時に管長に就任した。すなわち、

2  (重役会議における発表)日達逝去の当日である昭和五四年七月二二日午前一一時一〇分から総本山において緊急重役会議が開催され、日顕(当時総監)、椎名重役(以上が当時の重役会構成メンバー)及び能化(権僧正以上の僧階にある者で日号を称する)の一人である早瀬日慈、藤本栄道庶務部長(現在総監)らが出席し、席上、日顕から今までだまっていたが、日蓮正宗の第六六世日達は、昭和五三年四月一五日総本山において日顕に「血脈相承」を授け、日顕を次期法主に選定した旨の発表があり、出席者一同これを謹んで拝承した。

3  (宗内への公表)同日午後七時から日達密葬の通夜が行われ、その席上椎名重役から右2の次第が述べられ、日顕の法主就任が宗内に公表された。右通夜には宗内のほとんどの僧侶が参加しており、一同謹んでこれを拝承した。同日付院達(院第三〇五七号)をもって右の旨を宗内に通達し、「新法主上猊下のもと一致団結して御奉公の誠を尽すよう」誓いあった。翌二三日付院達(院第三〇五八号)をもって、日顕の法主及び管長への就任が重ねて宗内に通達された。

4  (御座替式)同年八月六日総本山大石寺において、日顕の法主就任の儀式である「御座替式」が行われ、宗内僧俗の代表がこれに参加した。その後、引続き総監、重役、能化全員並びに宗会議長をはじめとする宗内の主だった僧侶と信者の代表とが参加して「お盃の儀」(日顕の登座を祝うとともに同法主との師弟の契りを固ためるという宗教上の意義を有するもの)が執り行なわれた。

5  (管長訓諭)同年八月二一日、日顕は法主・管長の就任にあたり、訓諭(管長が一宗を嚮導するために発する達示で宗内では最も重要な指南である)を発し次のように述べた。「野衲(「私は」の意)さきに日達より血脈相承を受け本年七月二二日総本山第六七代の法燈を嗣ぎ本宗管長の職に就きました。」

6  (御代替奉告法要)昭和五五年四月六日、七日、総本山大石寺において全僧侶及び多数の信者の参加のもとに「御代替奉告法要」が行なわれ、日顕の法主就任が宗祖日蓮大聖人に奉告され、宗内に披露された。

7  (能化による声明)日蓮正宗の能化全員は昭和五七年一月一九日、日顕が日達から血脈相承を受けたただ一人の正統な日蓮正宗第六七世法主であることを確認し、これに異を唱える者を異議・異端の大僻見、大謗法の徒であると糾弾した。

8  (宗会議員による決議)日蓮正宗の宗会議員全員もまた同年同月二二日能化による右声明と同趣旨の決議をなし、日顕を法主であると拝し、同法主に対する血脈相承に異を唱える者を師敵の邪義・異説を唱える者であると糾弾した。

9  (僧侶全員による決議)日顕に対し、法主の地位を争う訴訟を提起している被告ら一部の者を除く教師僧侶は、同年四月下旬、各布教区ごとに右と同趣旨の決議をしており、その数は五〇〇名以上にのぼり、被告ら擯斥された者も含めた全教師僧侶の四分の三に及んでいる。

10  (信者の信奉)原告らの計算で一〇〇〇万人にもおよぶ日蓮正宗の信者のうちその九九パーセント以上の者は、日顕を法主・管長と仰ぎ、同人の指南に従って日蓮正宗の信仰に励んでいる。

11  被告らの血脈相承否定の経緯

(一)  被告ら日蓮正宗の一部僧侶は、同宗の信者団体の一つである創価学会に対する教化・育成のあり方に関し、かねてより日達及び日顕の指南に違背する言動を繰り返していたが、昭和五五年七月四日、創価学会を善導すると称して「正信会」なる同宗非公認組織を結成し、同年八月二四日数度にわたる宗務院の禁止命令に違背し、日本武道館において第五回全国檀徒大会なる会合を開催した。同大会の内容は日顕の指南を真向から否定するものであり宗内を攪乱すること甚だしいものがあったとして日蓮正宗は同年九月同大会を主催した一八名の正信会中央委員のうち特に情状の重い五名を住職罷免の懲戒処分に付し、その他同大会に関与した者についても情状に応じ降級・停権等の懲戒処分に付した。

(二)  右懲戒処分がなされるや、被処分者らは同宗の責任役員会や管長に対し処分撤回を要求するほか、処分無効を理由として裁判所に地位保全の仮処分を申請するなど日蓮正宗の処分を不当として争った。

(三)  被告ら正信会に所属する者の代表は、昭和五五年一二月一三日付内容証明郵便(質問状)をもって、日顕の血脈相承に疑義があるとして血脈相承の有無を質し、さらに昭和五六年一月一一日付内容証明郵便(通告文)をもって、日顕には全く相承がなかったにもかかわらずあったかの如く詐称して法主並びに管長に就任したのであるから正当な法主・管長とは認められず、したがって管長でない者のなした昭和五五年九月二四日付懲戒処分はいずれも無効である旨を通告し、その後、住職罷免の処分を受けた者らは、右仮処分申請事件において、懲戒処分の無効理由として日顕は法主・管長でないが故に処分権者でない旨を主張し、さらに被告らは静岡地方裁判所に対し、日顕の血脈相承の不存在を理由とした代表役員・管長の地位不存在確認請求の訴えを提起した。

12  日蓮正宗は総監において事実の審査を遂げたうえで(宗規二五一条)、昭和五七年八月二一日参議会の諮問を経て(宗制三〇条二号)責任役員会の議決により(宗規一五条七号)被告らを擯斥処分に付し、管長の裁可を得(宗規二五一条)、管長の名をもって宣告書を作成し(宗規二五三条)同日頃被告らに通知した。

以上の事実を認めることができる。

右事実によると、日蓮正宗においては謗法をなすということは最も許されないこととされているところ被告らは謗法を続ける創価学会の一部に対して日蓮正宗の教義に従い創価学会の一部の謗法に対して徹底的に批判を加えもって日蓮正宗の教義を守ろうとの強い信仰に基づいて第五回大会を開催したものであって、被告らが大会禁止令に従わなかったのは、日顕の態度(日達健在の頃からの)を目して問題をうやむやにすませようとする弱腰の態度であるととらえ、そのような態度は日達も不満としていたものであり、正義は右大会を開くにあると確信していたことと、日蓮正宗の僧侶には右指令に反してでも謗法と戦う使命と義務があるとの信念とによるものであって、動機に日蓮正宗を思う一途さ、強い信仰のみがみられ、他に不純なものが一切みられないのであるが、だからこそ賛同するものも多数あったのであろうが、団体の維持という見地から発せられた右指令に反したことによって右処分がとられた以上、団体自治は最大限に尊重せられるべきものであることを考えると、右処分をもって懲戒権の濫用であるとまで断定することは躊躇されるのである。

よって、再々抗弁は理由がない。

六  してみれば被告らの前記行為は宗規二四九条三号の誹毀又は讒謗をしたことに該当し、又、同条四号の異説を唱え訓戒を受けても改めなかったことに該当することになるといわざるを得ず、右擯斥処分により被告らは住職・代表役員の地位を失ったことになる。

(乙、丁両事件)

一  請求原因1ないし3の各事実は当事者間に争いがない。

二  抗弁は理由があり、再抗弁は理由がないことは、甲、丙両事件の理由において説示したとおりである。

(結論1甲、乙、丙、丁各事件)

一  してみれば、原告らの甲、丙各事件の請求はいずれも理由があるからこれを認容し、被告らの乙、丁各事件の請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用し仮執行宣言については相当でないからいずれも付さないこととして主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 八丹義人 裁判官 辻川昭 髙橋裕)

<以下省略>

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